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源氏物語と宇治
 
 
源氏物語の世界 宇治十帖関連スポット
 
源氏物語とは
源氏絵鑑帖より 巻二十四 胡蝶 『源氏物語』は11世紀初め、平安時代半ばに書かれた全五十四帖からなる長篇小説です。
紫式部という女性が書いたこの物語は、王朝物語の名作として後の作品に大きな影響を与え、現代に至るまで多くの人に愛されてきました。

物語は三部構成になっており、第一部は「光源氏(ひかるげんじ)が誕生し、栄華を極める」までの三十三帖、第二部は「その光源氏が、苦悩のうちに生涯を終えようとする」までの八帖、第三部は「その子の薫(かおる)の半生を、悲恋とともに描いた」十三帖です。
特に最後の十帖は、宇治が主な舞台となっているため、「宇治十帖」と呼ばれています。
源氏物語と宇治
宇治朝霧橋に夕日の射しかかる風景 平安貴族にとって、宇治は別業(べつごう=別荘)の地でした。舟遊びや紅葉狩りなどの遊びの地であるとともに、魂の安らぐ宗教的な地でもありました。宗教的な面が強かったのは、平安時代中ごろに栄華の頂点を極めた、藤原氏の墓地があったためです。

多くの別業では、貴族たちが御堂(みどう=持仏堂・自分の守り本尊を安置するお堂)にこもり、仏に祈るといった時間を持ちました。また『源氏物語』が執筆されたと考えられる年代よりも後になりますが、世界遺産である平等院も藤原頼通(よりみち)が父・道長(みちなが)から譲り受けた別業を寺院に改めたものです。和歌においても宇治は「宇治=憂(う)し」の掛詞(かけことば)として、古くからひんぱんに用いられてきました。このように、宇治は平安貴族にとって身近な土地でありました。こうした背景のもと、宇治は『源氏物語』最後の舞台として選ばれたと考えられます。

「橋姫」で始まり「夢浮橋」で終わる「宇治十帖」では、「京から宇治へ」「光源氏からその子・薫へ」と時空が移ることを「橋」で暗示し、「華やかさと静けさ」「此岸(しがん)と彼岸」など宇治の持つ対照的な要素も加えることで、物語が「春から秋」「昼から夜」の世界へと転じていくことを表したと言えるでしょう。
時代を超え愛される源氏物語
源氏物語 平安文学 古典を中心に蔵書 瀬戸内寂聴名誉館長著書も 『源氏物語』は千年もの間、人々に読み継がれてきました。
作者・紫式部は「“見聞きしたことを後世に伝えたい”という思いが物語を生み、その作り話にこそ真実が含まれている」と、作中の光源氏に言わせています。そうした思いから、どの時代にも通じる、普遍性を持った長編小説が生まれたのかもしれません。

紫式部が書いた原本は残っていませんが、『源氏物語』は誕生後、無数の写本によってまたたく間に広まり、多くの注釈書も生まれました。現代においても、現代語訳や漫画などの出版が後を絶ちません。当館ではこうした文献を含め、3000冊以上の書籍を所蔵しています。平成20年(2008年)は、『源氏物語』が記録の上で確認されてから、千年目の年にあたります。『源氏物語』はあらゆるジャンルに影響を及ぼしながら、今後もさらに愛されていくでしょう。
紫式部について
京都府宇治市 紫式部像 天延元年(973年)ごろ、高名な漢詩文家であり、受領(ずりょう)であった、藤原為時(ためとき)の娘として誕生。曾祖父は平安時代中期の歌人として有名な、堤中納言兼輔(つつみちゅうなごんかねすけ)にあたります。幼くして母を亡くし、為時の影響を受けて育ちました。結婚3年後に夫が病死し、悲しみをまぎらさせるために書き始めた物語が『源氏物語』だと言われています。これが評判を呼び、当時最大の実力者・藤原道長の娘にあたる一条天皇の中宮(ちゅうぐう)彰子(しょうし)に女房として仕えることになりました。女房とは職場に房(ぼう=個室)をもらっているキャリアウーマンのことで、式部は家庭教師のような役割だったようです。
本名は不明で、『源氏物語』の別名『紫の物語』を書いた人であり、父・為時が「式部の丞」を勤めたこともある、いうことから「紫式部」と呼ばれたと考えられます。